・スピリチュアリティとは
スピリチュアリティというのは、人間を超えた目に見えない世界とのつながりが、人間の生きる根源だという考え方です。
その人なりの死生観や信仰心と大きく関係しています。
死後の世界を信じるかどうか、宗教的な事に関心があるかどうかなど、人間の知恵が及ばないことや世界観を受け入れられるかどうか、その感受性のようなものと考えてください。
・目に見えないことを受け止める
例えば、直感は心の声として聞こえたり、圧倒的な予感として何かを感じたり、ある特定の何かをしようとすると、私たちの感覚を通してやってきます。
ですから、それに気付けないということはないもです。
直感とは、宇宙の知恵そのものであるだけに、私たちの知っている知識や情報ややり方やタイミングよりも、段違いに優れていて、それをまさにベストなタイミングで私たちにあたえることができます。
また日本には昔から「虫の知らせ」や「以心伝心」という言葉もあります。
このように目に見えないことを受け止めることそのものが、スピリチュアリティのある生き方なのかもしれません。
・来世に対する信仰
カール・ベッカー氏は著書で、世界で1番死を恐れているのが現代日本人なのではないかと示唆しています。
戦前ではそのようなことはなかったが、今は1番恐れているというのです。
そしてその理由として、来世に対する信仰が薄くなったことと密接な関係があるのではないかと指摘しています。
この世の別れは一時的なもので、今世の別れは永遠でなくなる。
だから「来世」というものは、悲しみを癒すのにも強い力を有しているのです。
現代の日本人の多くは宗教的行事は残っているのですが、別に熱心にそれを信仰しているわけではない「無宗教」も多いと思われ、いずれにしても強い宗教心というのは乏しいと思われます。
すると困るのは、彼らを受け入れてくれる「来世」がなくなってしまうのです。
「死後の世界」や「生まれ変わり」など全く信じられず、「死んだら無になるだけ」と考えるのがスピリチュアリティがない生き方とも言えるでしょう。
・死生観
結局のところあの世があるのか、ないのか、どんなところかもわかりません。
でも、人が死ぬと魂は違う次元の空間にいく、別れゆく愛する人たちとは、別の世界でいずれまた会えると思った方が気が楽です。
目に見えるもの以外には意味や価値を見出さず、「あの世なんてあるわけないですよ」と言いながら、どこか寂しそうなのは、現実が全てだと思い込もうとしているように見えます。
自分がそうだったら死ぬのがとても怖くてたまらないと思います。
こだわりや、かたくなな考えを捨てて、心の扉をひらけばもっと楽になるのではないでしょうか。
例えば、キリスト教信者にとって、死は終わりではなく、新しい生命の門出でもあるのだそうです。 麦は地に落ちることで、新たな多くの実を結ぶことができます。死を拒んでは、新しい命は生まれません。
同時に死は、苦しいことの多かった人生を終えて、「ご苦労だったね」とねぎらってくださる神のみ手に抱かれ、永遠の安らぎに入る瞬間でもあるとも言われています。
死を迎えるのは嬉しいことではありませんが、誰にも必ず訪れます。
スピリチュアリティが目覚めれば、生きている間になにをすればいいのか、この世に生を受けた意味とはなんなのか、そしてどんな死を迎えたいかとより深い思いに至ることができると思うのです。
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