・がん告知後のストレス
がんを告知された時どんな気持ちがしましたか?
私の場合はボーッとした頭で病院から出て、一呼吸おいて空を見上げました。
田舎で育った私は、東京のビルの間から見える空をみたら涙が出たのを覚えています。
気持ちはどんな気持ちだったのか・・・不思議と覚えていません。
でも絶望感と恐怖はそのあとじわじわと襲ってきました。
がんになると体の病を抱えるだけでなく、心の病まで抱えることになるのだと知りました。
・告知をするべきか、しないべきか
私の場合はあっさりと医師から告知されてしまいましたが、中には周囲は知っているのに本人は知らないというパターンがあります。
ショックを与えるのではないかと考えるからこそ、周囲はなかなか本人に真実を伝えられません。
誰だって愛する人が苦しむのは見たくないでしょう。
でも、ここで真実を隠すことがどういうことなのか、その意味を真剣に考える必要があると思います。
患者が判断すべき時間は限られています。
曖昧に時間を過ごし、どうにもならなくなってから「やっぱりね」と患者さんに思わせるのがいいのでしょうか。
先日友人の義姉様ががんで亡くなられました。
長い闘病生活だったと聞いています。
でも彼女をはじめご家族は最後まで末期がんであることを告げませんでした。
義姉の性格を考えると、がんだと知ったら治療をしないと言いそうだからということが理由です。
年齢も高齢の方でしたから、その選択もありだったのではないかと密かに思ってしまいました。
本人は最後までがんだと知らずに、「もう効く抗がん剤がない」と言われるほど抗がん剤治療をされ亡くなったのです。
私だったら嫌です。
自分の命なのに、治療法も選択できないなんて悲しすぎます。
少しでも患者のストレスを少なくするために、精神科や心療内科の力を借りることを考えた方が賢明だと思います。
告知後のストレスから逃げて真実を曖昧にするのは最悪です。
人の未来を奪う権利が私たちにあるのでしょうか。
・治療法の選択
がんは命にかかわる病ですから、その治療法の選択には非常に迷うことでしょう。
患者本人だけでなく、家族も一緒に治療方針を話し合う場合も多いと思われます。
その中で検討材料として医師の意見をはじめエビデンス(臨床結果や科学的根拠)を拠り所に話がすすめられます。
しかし最終的に治療法を決定するときは、エビデンスだけではなく、自分の意思が最優先されるべきです。
例えば、自分のがんについて「手術をした場合、5年生存率が90%」いう資料が多ければ、迷いは少ないでしょう。
では、その率が40%とか50%だったとしたらどうでしょうか。
手術を選ぶのか選ばないのかを統計数字のみで選択することは大変困難なことなのです。
数字はそれなりの説得力は持ちますが、統計資料として人間が作ったものです。 何らかの作為がかかっている可能性は0ではないですから、絶対とは言い切れません。
そもそも、同じ部位に発生したがんでも、人それぞれ異なりますし、治療法を選ぶにあたって何を優先するかは年齢によっても変わってきます。
要は本人が納得できればいいのですが、多くの場合、家族は本人の意思よりも「医者の意見」に引っ張られます。
自分の意思とは違い、医師をはじめ自分以外の人のすすめるままに治療を選択し、うまくいかなかった場合の後悔は計り知れません。
自分でよくよく考え、主体的に決断した治療法ならばどんな結果となっても納得がいくのではないでしょうか。
最終的に治療法を決めるのは自分自身しかいません。
人の意見に従うのか、自分の心に従うのかそれを決めるのも自分自身です。
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